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FOCUS

パリ日本文化会館共催「美の秘密」展
アフタートークイベントを開催しました!

2021.12.03

11月17日にポーラ文化研究所・パリ日本文化会館共催展「美の秘密」のアフタートークイベントを開催しました。ご参加くださったみなさま、ありがとうございました!

前半のギャラリートークでは、展示会場の写真やポスター、PR動画、ガイド冊子などをご覧いただきながら、パリからは、会場デザインの特徴、背景やお客さまからの反応などをイキイキとお話いただきました。後半は、現地で展示されていた収蔵品の中から、お歯黒化粧道具一式をご紹介。当時の化粧法や歯を黒く染めた女性たちの思いもお話しました。

質疑応答には「開催準備で一番苦労したことは?」「結髪雛形の材質は?」などたくさんのご質問をライブでお寄せいただき、まるでみなさんと共にパリの会場でギャラリートークをしているような時間となりました。

現在、ポーラ文化研究所YouTubeでは当日の内容を録画したアーカイブを公開しています。12月22日までの期間限定公開ですので、当日見逃してしまった方はもちろん、しばらくパリに行けてないな~と思っている方も!、ぜひお見逃しのないようにご覧ください!

■「美の秘密」展アフタートーク アーカイブ動画      視聴用リンク
視聴期間:2021年12月22日まで

パリ日本文化会館パリ日本文化会館

質疑応答での「フランスにおける「白色」のとらえ方を知りたい」というご質問に対し、パリ日本文化会館より回答をいただきました。

Q. 白無垢は嫁ぎ先の色に染まるという意味合いが日本にはあるということでしたが、こういった感覚はフランスの人々にはどのように受け入れられるのでしょうか。フランスにおける「白色」のとらえ方があれば知りたいです。

A. もちろん鑑賞なさった方それぞれにお考えがあるかと思いますが、一般的には現代のフランスにおいては「嫁ぎ先に染まる」という考え方はないようです。
フランスにおける白色のとらえ方、というご質問については、フランスにはさまざまなバックグラウンド・文化を持った方がいらっしゃるので一概には言えないのですが、一つの例として白は「純潔」「高潔」「無垢」などのイメージでとらえられることがあるようです。これはおそらく、歴史的にカトリックの影響力が強いフランスにおいては、古くから白という色が特別な色であり、このようなイメージと結びついていた、ということがあると考えられます。
(例:「白」百合が聖母マリアの象徴、「白い」子羊がキリストの象徴、「白い」鳩が三位一体の聖霊、等)

《三定例之内 婚禮之図》 一勇斎国芳 嘉永元年(1848)(国文学研究資料館撮影)《三定例之内 婚禮之図》 一勇斎国芳 嘉永元年(1848)(国文学研究資料館撮影)

また、江戸時代の化粧に関する参考図書を知りたい!というご要望もいただきました。公立図書館などでアクセスしやすいものを中心に、おすすめ書籍をご紹介します。江戸時代の資料をPC上でご覧いただけるものもあります。私どものセミナーをきっかけに、化粧文化の世界に親しんでいただければうれしい限りです。

■ ポーラ文化研究所の出版物
―ポーラ文化研究所発行
『結うこころ : 日本髪の美しさとその型 : 江戸から明治へ』2000年
『浮世絵にみる江戸美人のよそおい』2013年
〈英語版〉Fashion and Make-up of Edo Beauties Seen in Ukiyo-e Prints. 2018.

―協力機関発行
『おしゃれ文化史 : 飛鳥時代から江戸時代まで』ポーラ文化研究所編著、秀明大学出版会、2019年
『ウチの江戸美人』いずみ朔庵著 ; ポーラ文化研究所監修、晶文社、2021年
詳細とご注文はこちら

左:ポーラ文化研究所 渡辺美知代 右:パリ日本文化会館  事業部次長 大角友子氏左:ポーラ文化研究所 渡辺美知代 右:パリ日本文化会館 事業部次長 大角友子氏

■ ポーラ文化研究所所蔵の古典籍をみる(蔵書データベースへ移動します)
*ポーラ文化研究所では、化粧・髪型・装いなどに関する古典籍の全文デジタル公開を行っています。

『都風俗化粧伝』上
『都風俗化粧伝』中
『都風俗化粧伝』下
佐山半七丸[著] ; 速水春曉齋画図、河南喜兵衛[ほか]、1813年

『今様櫛〓雛形 : くしの部』一
『今様櫛〓雛形 : くしの部』二
葛飾北斎画、衆星閣[ほか]、1823年

『容顔美艶考』上
『容顔美艶考』下
並木正三遺傳 ; 淺野高造補著、加賀屋善蔵、1838年

『歴世女装考』春(巻一)
『歴世女装考』夏(巻二)
『歴世女装考』秋(巻三)
『歴世女装考』冬(巻四)
岩瀬百樹撰、松山堂、1847

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