ポーラ文化研究所ポーラ文化研究所
ポーラ/オルビス ホールディングス
JP|EN
JP|EN
Search
Close
化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

005

原始化粧から伝統化粧の時代へ 飛鳥・奈良時代1

2020.07.28

飛鳥・奈良時代は化粧文化にとって大きな転換期でした。「伝統的なよそおいとは?」と聞かれてイメージするのはどのようなものでしょうか? 着物と帯のファッション、髪を結う日本髪、白粉に紅の化粧。それって、よく時代劇で見るファッションですよね。そうです、皆さんが思い浮かべたのが「日本伝統のよそおい」。その確立へ第1歩を踏み出したのが、今から1400年前、この時期だったのです。日本の化粧の始まりといわれた古墳時代以前は、日差し、寒さ、乾燥といった自然環境からの保護や儀式・呪術的な意味合いをもつ「原始化粧の時代」でした。飛鳥時代を迎えて、文化や社会の発展とともに、化粧の意味や方法も変わり、美意識の化粧となりました。現代のように自分を美しく魅力的にみせる「伝統化粧の時代」へと移り変わっていったのです。

《鳥毛立女屏風》(部分) 第四扇
正倉院蔵中国大陸(唐)スタイルの華やかな衣装を身にまとい美しく化粧をした女性が描かれている。《鳥毛立女屏風》(部分) 第四扇
正倉院蔵中国大陸(唐)スタイルの華やかな衣装を身にまとい美しく化粧をした女性が描かれている。

その頃の日本は朝廷が誕生し、国づくりが始まりました。日本が国としての体制をととのえ、国力をもった支配層は中国大陸や朝鮮半島との交流を持つようになります。仏教伝来や遣隋使・遣唐使派遣などを介して、中国大陸から辺境の島国に、政治体制、仏教とともに最先端の技術がもたらされ、日本の社会が大きく変わっていった時代です。
この時、衣装・髪型・化粧といったよそおいの文化も伝えられました。海外(外国)の最新の情報を知り、贅沢なものを手に入れられる立場だった支配層の宮廷女性たちは、大陸の衣装や化粧を積極的に取り入れていきました。
その様相は、奈良時代中期に日本で描かれた「鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)」の女性像に見ることができます。
絹織物に華やかな色のついた唐風の衣装を身にまとい、化粧は、白粉を塗り、紅を使ったポイントメークを施しています。東西の文化をつないだシルクロードを通じて、唐のメーク法が日本に伝わってきたことがわかります。
「美しさのよそおい」の文化といえる伝統化粧文化は、大陸から伝来した文化の模倣からはじまったのです。華やかな衣装、艶やかな髪型や整えられた化粧の美しさは、それまでの呪術的意味合いや権威の象徴としての衣装や化粧とは違う「美しさの表現」「おしゃれ」としてのよそおいを目的とするようになったのです。
次回は大陸から伝来した化粧品の白粉・紅、そして、メークアップ法に関するお話です。お楽しみに!

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

  一覧へ戻る  

この記事のタグから他の記事を検索できます

最新の記事

上へ