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化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

032

近代化粧の幕開け
明治時代5 美意識の変革<新・化粧料:石鹸とクリームの誕生>

2023.12.14

欧米からの近代化粧は、新しい発想の化粧法や美容法で「素肌を美しくする」という価値観をもたらしました。その結果、当時の女性達の美意識にイノベーションが起きたことが前回までのお話でした。そして「美肌つくり」へのコミットに大きな役割を果たしたのが新しい化粧料の登場です。今回は、日本の化粧に新たに加わった化粧品、「石鹸」と「クリーム」についてお伝えしていきます。

【1.新洗浄アイテム「石鹸」】
まずはスキンケアの基本、洗浄の新アイテムです。江戸時代から愛用されていた糠や洗粉の他に、新しく"石鹸"が参入。欧米では当たり前に使われていた石鹸も、舶来品として日本女性にとっては、先進的で憧れの洋風化粧品でした。
また石鹸は、日本において明治時代の早い時期に製造が始まった化粧品でもあります。
国産化の取り組みの始まりの背景には、幕末から明治時代にコレラが何度も流行し多くの死亡者を出したことと、新政府の近代化政策があって、国民に衛生観念の重要性が認識されるようになったことがあります。明治5年、京都舎蜜局(せいみきょく)が石鹸を製造、明治6年には、横浜で日本の石鹸製造業の創始者と言われる堤磯右衛門が洗濯石鹸の製造に成功して石鹸製造工場を開設しています。その後は民間での石鹸製造が増えて「花王石鹸」「三能石鹸」などが続き、国産石鹸の販売が盛んになっていきました。

銀製石鹸箱銀製石鹸箱

では、当時の石鹸はどのようなものだったのでしょうか。明治30年(1897)の『日用百科全集 化粧品製造法』に石鹸の原料と作り方が記述されています。「天然油脂とアルカリ、油および塩を用いて作る」とあり、また、石鹸製造には「牛脂の場合、充分に漂白した白色の牛脂を釜に入れ熱を加えて溶解して、希釈した苛性ソーダを徐々に混入して、液面の泡を取り冷ましながら食塩を加えると白色の沈下した石鹸ができるので型に入れて形を作る」とあります。明治の石鹸は、現在使われている石鹸の原型と言えるものでした。
石鹸は文明開化の象徴のひとつとなりましたが、その品質レベルにはまだまだ課題があったようです。
明治44年7月号『婦人世界』では洗顔方法のアドバイスを掲載しています。「洗面用には、純良な米糠の汁が一番よろしうございます。・・・米糠に次いでは、上等の石鹸をフェイシャルブラシにつけてお洗ひなさると心持ちがようございます。」とあり、身体には石鹸、顔には舶来品など上等の石鹸は別にして、従来の糠袋、洗粉などのほうが安全ですぐれているという評価でした。
国産の石鹸はまだ粗悪品が多く、舶来品は高価だったので顔用には白ササゲや小豆の粉末で作った「レート洗粉」や「クラブ洗粉」が一般女性に人気となっていて、糠袋や洗い粉の使用も継続していたのです。特にクラブ洗粉は匂いも品質も良く、さらに大きな呉服店(三越呉服店)に売り場を構えて販売したことが奏功して明治41年には900万個を販売する大ヒット商品となりましたが、大正時代を迎えると良質の石鹸が登場して本格的な石鹸洗顔の時代に移行していくことになります。

クラブ洗粉クラブ洗粉

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

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