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016

髪型とファッション 武家

2021.08.26

前回ご紹介したのは、渋くて粋な庶民のスタイル。今回は打って変わって、豪華で立派な武家のスタイルを紹介しましょう。

下の浮世絵は《江戸名所百人美女》シリーズの「霞ヶ関」です。霞ヶ関といえば官公庁が集まる場所として有名ですが、江戸時代のこの辺りは有名な大名屋敷が続いていました。浮世絵の女性が一番上に羽織っているのは「打掛(うちかけ)」といい、格式の高さを象徴する着物です。髪は髷の途中をしばっているので、未婚女性の代表的な髪型、島田髷(しまだまげ)だとわかります。髪型とファッションから、この女性は武家の未婚女性、中でも由緒ある大名家の姫君といえるでしょう。

《江戸名所百人美女 霞ヶ関》 三代歌川豊国 安政4年(1857)(国文学研究資料館撮影)《江戸名所百人美女 霞ヶ関》 三代歌川豊国 安政4年(1857)(国文学研究資料館撮影)

大名家の姫君と町家のおかみさんを並べてみると、その差は一目瞭然! 姫君が着る打掛には桜、菊、梅、牡丹、杜若といった四季の花々が全体に散りばめられ、目にも鮮やか。おかみさんの着物の、濃色に細かな紋様の取り合わせも渋さが光りますが、彩色と柄ゆきの華やかさでは敵いません。髪飾りも、シンプルにまとめたおかみさんに対し、姫君はびらびらのついた桜模様の花簪を挿しています。将軍の夫人ともなると、朝・昼・晩と1日に3度もお召しかえをしていたのだとか。まさにセレブの生活ですね。

武家のファッションスタイルはエレガントでゴージャス。江戸の身分社会の中で、武家ファッションは庶民よりも豪華、公家よりも華やか、遊女よりも上品なのが特徴でした。ファッションを見れば身分まで分かってしまう。江戸時代のファッションは、おしゃれだけではない、ステータスを表すものでもありました。

左《江戸名所百人美女 霞ヶ関》(部分) 三代歌川豊国 安政4年(1857)(国文学研究資料館撮影)
右《江戸名所百人美女 駿河町》(部分) 三代歌川豊国 安政4年(1857)(国文学研究資料館撮影)左《江戸名所百人美女 霞ヶ関》(部分) 三代歌川豊国 安政4年(1857)(国文学研究資料館撮影)
右《江戸名所百人美女 駿河町》(部分) 三代歌川豊国 安政4年(1857)(国文学研究資料館撮影)

※このコンテンツは2015年から2018年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「やさしい日本髪の歴史」を一部改訂再掲載したものです。

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