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化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

015

伝統化粧の完成期
江戸時代2 初期は武家のステータス化粧

2021.04.27

江戸時代のはじめ(前期)は、主従関係や身分階層を基盤とした強い封建制の社会です。この時期は、格式を重んじる武士階級が文化の担い手でした。公家文化を模範としながらつくられた武家文化では、女性の生活は、生活慣習、作法、化粧、装いなどは身分・家柄に応じたものでなければなりませんでした。
武家女性の白粉・紅の化粧、お歯黒、眉作り・眉剃りなど身嗜みとしての化粧は、個人の美しさを表現するものではなく、身分や年齢、未婚、既婚を表すため、ルールや定められた様式にそったものでした。言うなれば武家女性の化粧は制服のようなもの、つまり、武家の女性は庶民の女性とは身分の違いがはっきりわかるよそおいでなければならなかったということです。
こうした意識のもとで、お歯黒をして半元服、眉を剃り落として本元服という成人女性となる通過儀礼から、結婚する年頃になると歯を染め、出産すると眉を剃り落とすのが習慣となりました。そして日々の身嗜みも常に化粧を施し、素顔のままはもちろんのこと薄化粧であることも許されないのが作法とされたのが、江戸時代前期の代表的な化粧文化の様相でした。

格式重視の化粧は、当時の上級武家が調えた婚礼化粧道具に、その趣を感じる事ができます。お歯黒道具、眉作り箱、旅櫛箱、鏡台、鏡立、鏡箱、角盥(つのだらい)、湯桶、刷毛類、筆類などが堂々のラインナップです。図版の婚礼調度は漆に橘唐草紋の蒔絵(まきえ)が施された贅沢なつくりです。鎌倉時代あたりからはじまったと言われる婚礼調度ですが、江戸時代初期には、道具類も体系化され豪華なものになっています。
化粧とともに女性が容姿のうえで大事にした髪型は、大きな進展をみせていきます。
江戸初期には公家や武家階級の女性は依然として垂髪でしたが、しだいに髪を前髪・鬢(びん)・髱(たぼ)・髷(まげ)に分けて結い上げる髪型が出来上がっていき、江戸時代を通じて基本となった4つの髷、島田髷、兵庫髷、勝山髷、笄髷(こうがいまげ)が、この時期に登場しています。女性の髪型は数百種類のバリエーションに及んだといわれていますが、江戸前期にその原型がつくられたのです。そして、髪型も化粧と同様に年齢や身分・階級、未・既婚、職業までを表すものでもありました。

《橘唐草紋散蒔絵婚礼化粧道具》 江戸時代後期
武家など上流階級がつくらせた婚礼化粧道具で、江戸時代前期に体系化され江戸時代後期までつくられ続けた。《橘唐草紋散蒔絵婚礼化粧道具》 江戸時代後期
武家など上流階級がつくらせた婚礼化粧道具で、江戸時代前期に体系化され江戸時代後期までつくられ続けた。

江戸前期は武家の女性たちを中心に、受け継がれた伝統をもとに武家の格式を表す化粧や髪型、装いの様式が整えられた時代です。しかし、江戸の華やかな化粧文化の流れは、窮屈な武家文化の一方で、遊女や芸妓、役者などの生み出すファッション性豊かなおしゃれな文化が大きな影響力をもって発展していきます。
社会が安定し、豊かになった庶民の女性たちは、慣習の制約の中で、自分たちなりに工夫した化粧や髪型を楽しむようになっていきます。儀礼やきまりなどで様式化された武家文化から、町人文化の隆盛によって伝統的文化が、さまざまに洗練されて日本の様式美が完成していくのが化粧文化の流れです。次回は江戸中期~後期、日本人特有の繊細かつ洗練された感性によって磨かれる化粧文化について引き続きお伝えします。

《橘唐草紋散蒔絵婚礼化粧道具 お歯黒道具》 江戸時代後期
江戸時代、結婚がきまると歯を黒く染めた。黒はほかの色に染まらないことから貞節のしるしとされた。耳盥(みみだらい)、渡金、お歯黒壷、嗽茶碗(うがいちゃわん)、五倍子(ふし)箱、お歯黒筆などが揃ってお歯黒道具一式となる。《橘唐草紋散蒔絵婚礼化粧道具 お歯黒道具》 江戸時代後期
江戸時代、結婚がきまると歯を黒く染めた。黒はほかの色に染まらないことから貞節のしるしとされた。耳盥(みみだらい)、渡金、お歯黒壷、嗽茶碗(うがいちゃわん)、五倍子(ふし)箱、お歯黒筆などが揃ってお歯黒道具一式となる。

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

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