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化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

023

伝統化粧の完成期
江戸時代10 江戸時代のメーク方法<図解!江戸メークテクニック>

2022.03.24

江戸時代、「メーク」はさまざまな身分の女性に浸透し、庶民も楽しむようになっていきました。おそらく美しくなるために日夜メークアップの腕を磨いていたはず!では、どのようなものを参考にしていたのでしょうか? 実は江戸時代にも、多くの女性たちが愛読していた美容書がありました。『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』というタイトルで、文化10年(1813年)に出版されています。
この本には、タイプ別の口紅の塗り方があったり、ヘアスタイルの見本も今の雑誌に負けないくらいたくさん掲載されています。メーク法についても、目や鼻、口など様々な悩みを解消する修正メーク術が挿絵つきで、わかりやすく解説されています。今回はそのいくつかをご紹介しましょう。

『都風俗化粧伝』 佐山半七丸著 文化10年(1813)『都風俗化粧伝』 佐山半七丸著 文化10年(1813)

Ⅰ.【鼻の低きを高う見する伝】
「鼻は顔の中にても中央にありて第一他(ひと)の目につくものなれば、鼻筋とおりたるをよしとす。・・・化粧の仕様(しよう)にて低き鼻も筋通りて高く見ゆるもの也。」と説いています。低い鼻を高く見せる方法です。

①鼻の上は、顔の化粧よりおしろいを濃く塗ること 
②耳の所より鼻のさきへむけて白粉を濃くぬるべし 
③眉はすこし濃くつくるがよし 
④口紅は薄くつくべし

のっぺりとした真白メークではなく、白粉や紅には濃淡を付け、鼻筋にハイライトを入れるなど、とても立体的で、いろいろなテクニックを駆使していたこと が分かります。

『都風俗化粧伝』(部分) 佐山半七丸著 文化10年(1813)『都風俗化粧伝』(部分) 佐山半七丸著 文化10年(1813)

Ⅱ.【まじりのさがりたるを上(あげ)て見するしやう】
「目じりの低れ下がりたるを上げて見せんとおもわば、まず常のごとく白粉をぬりてのち、少ししめりたる手拭にて、瞼をかけて、目じりを上の方へ、そとぬぐい、そのあとへ紅をいたって薄くほんのりと、目じりの方、上の方へかけてぬる也。」とあります。

①眉じりを上げてつくるべし 
②○印のところより●印のところに(紅を)はきかくべし
③△印のところは、(紅を)うすくばかし、おしろいもきわ立たざるように

目もとのクローズアップ図で、修正メークのハウツーを指導しています。その内容は、紅を薄くほんのりと、目尻の上の方へ向けて塗り、この時の眉は、すこし細く、目尻はすこし上げめに作るとよいとアドバイスしています。

『都風俗化粧伝』(部分) 佐山半七丸著 文化10年(1813)『都風俗化粧伝』(部分) 佐山半七丸著 文化10年(1813)

Ⅲ.【まじりの上(あが)りたるを直(すぐ)に見するしやう】
「化粧してのち、瞼(まぶた)より目じりのかたへ、まっすぐに、しめりたる手ぬぐいにてのごい、極めてうすき紅を、ほんのりその上へ、はきかけ置くべし。・・・眉はふとく作るが格好よきなり。」とあります。

①このところよりしめりたる手ぬぐいにて拭いはじめ 
②(次に)この所へかけて拭い、そのあとに、いたってうすき紅をはきかくべし

先例の垂れさがった目とは対照的な上がった目の修正メークです。その内容は、白粉を塗った後、濡れ手拭でまぶたを拭い、下まぶたの端に極薄い紅をさっと塗って、上まぶたに白粉をぬる。眉は太く作ると、格好がよいと言っています。

『都風俗化粧伝』(部分) 佐山半七丸著 文化10年(1813)『都風俗化粧伝』(部分) 佐山半七丸著 文化10年(1813)

まさに現代女子必読のメークテクニック解説本を想像させる内容。既に江戸時代にあったとは本当に驚きです。現在でも同じようなメーク法を紹介している部分もあり、「時代や化粧品は変わっても、基本的な考え方は同じなんだな」と感動を覚えます。 江戸時代の美しくなれるメークテクニック、いかがでしたか?美しさに対する探究心、今の私たちと変わらないのですね。
さて、ここまでお話してきました江戸のメークに引き続き、次回はいよいよ江戸時代のヘアスタイル&トレンドについてお伝えします。

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

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