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化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

022

伝統化粧の完成期
江戸時代9 江戸時代のメーク方法

2022.01.27

元来、日本の化粧は、3つの色が基本になっています。
口紅・頬紅・爪紅の赤、白粉の白、髪・眉・お歯黒の黒、この数少ない色の使い分けが、日本の伝統化粧に独特の趣を作り出していました。今回は、そんな当時の化粧方法や道具の使い方をご紹介します。

左から
《美艶仙女香式部刷毛》(部分) 渓斎英泉 文化12~天保13年頃(1815~1842)(国文学研究資料館撮影)
《江戸名所百人美女 王子稲荷》(部分) 三代歌川豊国 安政4年(1857)(国文学研究資料館撮影)
《時代かがみ 安永の頃》(部分) 楊洲周延 明治29年(1896年)(国文学研究資料館撮影)左から
《美艶仙女香式部刷毛》(部分) 渓斎英泉 文化12~天保13年頃(1815~1842)(国文学研究資料館撮影)
《江戸名所百人美女 王子稲荷》(部分) 三代歌川豊国 安政4年(1857)(国文学研究資料館撮影)
《時代かがみ 安永の頃》(部分) 楊洲周延 明治29年(1896年)(国文学研究資料館撮影)

<Ⅰ.お歯黒>
古代より行われ、日本固有の化粧となったお歯黒は、長い歴史の中で、成人のしるし、または結婚した女性が貞節を表すしるしとして用いられてきました。
その材料は、ヌルデの虫癭(ちゅうろう)の五倍子粉(ふしのこ)※と、酢・米の研ぎ汁・酒そして鉄屑などを入れた「お歯黒水」を混ぜて作ります。その後、作った液をお歯黒筆にふくませて歯に塗り、これを何回も繰り返すと黒くなっていきます。
お歯黒は大変渋かったので、付け終わった後、嗽茶碗(うがいちゃわん)で口をゆすぎました。お歯黒水は現在の黒インクと同じ成分の鉄溶液で、歯のエナメル質にしみ込んで黒く染まったのです。さらに、お歯黒は虫歯予防という実用的効果もあったために、長く愛用されました。
※ウルシ科のヌルデにできた虫癭を乾燥させて粉にしたもの

<Ⅱ.白粉>
当時の日本では色白が美人の第一条件とされていたため、肌を白く見せる白粉化粧には強い関心が寄せられていました。
白粉の主力は、伊勢白粉と京白粉。江戸時代の白粉化粧は水で溶いてつけるのが特徴で、磁器に白粉と水を入れ、溶き合わせて使いました。全体に厚くならないように均一に塗るのが特徴で、額・頬・鼻・口まわりと順に塗っていきます。そして、顔だけでなく首筋・襟足・耳・胸まで白粉をぬり、首筋・襟足は頬よりやや濃く仕上げます。 反対に耳は薄く、白粉を塗りました。境目が目立たないように、生え際には粉白粉をはたき込んで工夫するなど実に細かい部分にまで気を配っていました。
白粉化粧の細やかさは、そのまま江戸化粧の技術の豊かさを物語っています。

<Ⅲ.紅>
そして、「紅」。紅は、昔から「紅一匁、金一匁」と言われるほど高価な物で、しかも白と黒と赤、3色の化粧のなかでは唯一華やかな色彩であり、使い方はいろいろに工夫されてきました。特に江戸中期になると、下唇にたっぷりと紅をつけて、口元を玉虫色にする笹色紅が流行しました。しかし紅は高価、そこでまず唇に墨汁を塗り、その上に薄く紅をつけて、同じ効果を出す工夫も考案されました。
この他にも、紅は目の上や爪につけて、華やかさが演出されました。
少ない色を工夫して美しく粧う江戸化粧の中で、紅は最も女性らしさを強調する色として多彩に使われたのです。

日本において、化粧は他の国に例のない独自の道を歩んでいます。日本の化粧、それは長い歴史と人々の美意識が見事な形で結実された文化でもあるのです。
さて、次回は江戸時代のメーク&トレンドについて引き続きお伝えします。

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

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