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化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

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原始化粧から伝統化粧の時代へ 平安時代4 

2020.10.29

平安時代には「白い肌=美人」という共通認識が育まれ、日本独自の化粧美が形成されていきました。では、スキンケア(素肌ケア)はどのように行われていたのでしょうか?知りたくなってきますね。
現代のスキンケアの目的は、「肌を清潔にし、うるおいを与え、美しくするため」ですが、当時はまだ、確立した概念はなく、ただ、スキンケアの原型と考えられるいくつかの手入れ(行為)がされていました。今回はそのお話をしましょう。

まず、「洗顔につながる手入れ(行為)」です。古代の人々は、川や池での沐浴で身体の汚れを落としていました。でも、まだ肌ケアを意識した洗顔ではありません。そして、古代には、もうひとつ別の意味の洗浄がありました。
原始宗教では、病気や災害などの「穢れ(けがれ)」から逃れるために「みそぎ・はらい」として、水による浄めが行われていました。現代でも祭事などで、水を被って身を浄める姿を目にします。万葉集にも「君より言の繁きを古郷の明日香の川にみそぎしに行く」(うわさが広まっているので、ふるさとの川にみそぎをしに行きます)と詠じられており、日本人が古代より水と親しく関わっていたことがわかります。
その後、洗顔の重要な出来事になったのが仏教伝来です。仏教による沐浴の教えで寺院浴堂が造られ、一般に温浴が広まるきっかけとなったのです。奈良時代に建てられた東大寺には当時の大湯屋が現在も残っています。沐浴とは、沐は頭部を洗うこと、浴は身体を洗うことを意味し、八世紀頃伝来した『温室経』には、浴室の必要品七物を整えれば、七病を除去し七福を得ると功徳が説かれています。
その七物の中に小豆の粉でつくる洗浄料、澡豆(そうず)の記述があります。小豆などの豆粉には汚れを落とす発泡性の物質サポニンが多く含まれているので、古くから洗浄料として使われていたようです。
では、澡豆を洗顔料として使っていたのでしょうか。残念ながら、確認できる当時の記録は残っていませんが、平安時代中期に編纂された『延喜式』に、洗料として澡豆や皂莢(さいかち)が記されています。上流階級の女性は、これらを洗浄料として顔や髪を洗っていたのではと推測されます。その中には、肌を美しく保つための「洗顔」に気づいていた女性もいたかもしれません。洗顔が習慣化され一般に広まったのは江戸時代です。私たちにはあたりまえの洗顔ですが歴史の長い時間がかかっています。

古代の人々は川や池での沐浴で身体の汚れを落としたり、
病気や災害などから逃れるため、水による浄めを行っていた。古代の人々は川や池での沐浴で身体の汚れを落としたり、
病気や災害などから逃れるため、水による浄めを行っていた。

次に、「保湿につながる手入れ(行為)」です。古代の人たちは、日差しや寒さから肌を護るために獣の脂や植物の汁を肌に塗っていただろうと以前の回でお話しました。「肌を外部からの強い刺激から護る」ことがスキンケア(肌の手入れ)のはじまりだったのです。
飛鳥・奈良時代、大陸から渡来した様々な文化や化粧品を日本人は積極的に受け入れています。漢詩などから習得した美人の概念が人々にすり込まれていった時期でもあります。唐風美人や平安美人になるため「美しくよそおう」ことに価値観がおかれ、白い肌をつくって見せる美意識が育まれていったのです。それなら、白粉や紅の化粧がキレイにのるために、スキンケアをしていたのでしょうか?
保湿ケアについての明確な記録が残されているのは、やはり江戸時代からなのですが、平安時代の宮廷の儀式書『江家次第(ごうけしだい)』に関連する記述が見られます。
そこには、「口脂(こうし)」「面脂(めんし)」という語があり、口脂は口紅、面脂は顔に塗る化粧用あぶらのことです。どのように使われていたかは 書かれていませんが、面脂は肌に艶を与えるためや化粧下だったのではと考えられます。こうした貴族など上流女性の行った手入れが、保湿ケアのはじまりといえるでしょう。
そして、『東大寺縁起絵巻(大仏縁起)』の光明皇后による施浴に表わされているように、寺院での施浴はお風呂のルーツとなって私たち日本人の入浴習慣に発展し、肌を清潔に美しくするという概念の芽生えとなりました。スキンケアが一般的になる江戸時代の遥か以前、平安時代には、肌を美しく整えるためのスキンケアの原型とも言える手入れがはじまっていたことは驚きですね。
次回は日本独自の文化、平安時代の香りのおしゃれについてお伝えします。

皂莢(さいかち)
平安時代中期に編纂された『延喜式』に、洗料として記されている。皂莢(さいかち)
平安時代中期に編纂された『延喜式』に、洗料として記されている。

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

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