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化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

017

伝統化粧の完成期
江戸時代4 美肌意識とスキンケアの現れ<洗顔>

2021.06.29

今では誰もが使っている石鹸や洗顔フォームなど<洗浄料>や、化粧水など<保湿・整肌料>のスキンケア化粧品が、すでに江戸時代にあったのをご存知ですか?今回は、日本女性が大切にしている美肌に対するケア意識の表れをお話ししましょう。
江戸美人の条件は何と言っても「白肌」。「色の白きを第一とす。色のしろきは七難かくすと、諺にいえり」と当時の美容書『都風俗化粧伝』にも書かれています。「白粉化粧」が一般女性にまで広まっていた時代だからこそ、その土台となる素肌の美しさにもこだわっていました。
江戸時代のスキンケアでまず普及したのは洗顔料で、入浴や化粧前の洗顔に「糠袋(ぬかぶくろ)」や「洗い粉」が使われるようになります。
まず、江戸初期に広く使われだした洗顔料が「糠(ぬか)」。精米時に米からとれる糠は身近なものでしたので、洗顔が日常の習慣になると誰でも手に入る洗顔料として、庶民に浸透しています。使い方は、絹や木綿の布を袋状に縫い合わせた"糠袋"のなかに糠を入れ、ぬるま湯に浸してしぼったら、顔や全身の肌をなでるように滑らせて洗います。糠だけでなく鶯(うぐいす)の糞や豆の粉を混ぜたりもしていました。糠は使うたびに新しいものを入れていたようです。

《江戸名所百人美女 御殿山》(部分) 三代歌川豊国 安政5年(1858)(国文学研究資料館撮影)
盥に水を張り、糠袋で身体を洗っている女性。《江戸名所百人美女 御殿山》(部分) 三代歌川豊国 安政5年(1858)(国文学研究資料館撮影)
盥に水を張り、糠袋で身体を洗っている女性。

佐山半七丸著『都風俗化粧伝』(文化10年)の糠袋の項には、「糠袋をつかうに、顔につよくあてて洗うべからず、顔のきめをそんず。静かにまわしてつかへば、糠汁よく出て密理(きめ)をこまかにし顔につやを出す。此糠袋の中へあらい粉、膩(あぶら)落し薬を入れて顔肌を洗へば、膩をよく去り、きめを細かにする良法也」とあり、「熱すぎるお湯での洗顔は、肌に皺ができるため、ぬるま湯で」とか、「洗い粉を糠袋にいれて使うときは、強くこすれば密理(きめ)がこわれる」といったノウハウがこと細かに記されてます。まさに、自然派化粧品の先駆け、美容レベルの高さにも脱帽です。
銭湯が普及していた江戸の町では、入浴時に身体といっしょに顔を洗うようになり、糠と並んで"洗い粉"(あらいこ)もよく洗顔料に使われています。これは、糠袋以前に、"澡豆"(そうず)という平安時代から用いられてきた洗顔料があって、小豆・大豆などの豆類を臼でひいた粉を原料にしたものでしたが、元禄時代には、豆の粉に白檀などの香料や生薬を加えた"洗い粉"が考案され市販されていました。江戸後期の美容本に、"洗い粉"は「手のひらにとって水でといて肌にすりこむ、または糠袋にいれて顔を洗ってもよい」とあり、そしてその効果は、「肌の色を白くする」と、なんと美白効果まで!

《江戸名所百人美女 御殿山》 三代歌川豊国 安政5年(国文学研究資料館撮影)《江戸名所百人美女 御殿山》 三代歌川豊国 安政5年(国文学研究資料館撮影)

これでは美肌意識は高まるばかりです!"洗い粉"は機能をさらに進化させながら「元禄艶洗い粉」「蘭麝粉(らんじゃこ)」などの商品名で多数販売されています。
この頃のお化粧は、今のナチュラルメークに通じる「薄化粧」が江戸町民のトレンド。薄化粧がキレイに映えるのは、白く美しい素肌があってこそ。洗顔はもはや汚れを落とすだけでなく、肌のキメや美白に着目して肌を磨く"スキンケア"となったのです。今の洗顔意識と変わらないですね。

「糠袋」や「洗い粉」は日本独特の洗顔料として広く愛用されましたが、江戸時代に"スキンケアとしての洗顔"がなされていたという事実には、驚くばかりです。特に、糠に豊富に含まれている油分やビタミン・ミネラルといった美容成分は、今の化粧品にも配合されているもの。既に江戸時代の女性たちが美肌を目的に使っていたとは恐るべしですね。 次回は、洗顔に続き江戸女性の素肌美づくり、"化粧水"についてお伝えします。

洗顔に使われていた糠と糠袋。(再現)洗顔に使われていた糠と糠袋。(再現)

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

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