ポーラ文化研究所ポーラ文化研究所
ポーラ/オルビス ホールディングス
JP|EN
JP|EN
Search
Close
化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

018

伝統化粧の完成期
江戸時代5 美肌意識の芽生えとスキンケア<化粧水>

2021.06.29

肌のお手入れ「スキンケア」に欠かせないものといえば化粧水ですね。うるおいケアの基本、化粧水が一般女性に広まり愛用されだしたのは、江戸時代でした。メークアップにあたる「白粉」や「紅」化粧が女性の身だしなみとして普及すると、白粉をきれいにつけるための化粧下地料として化粧水が使われるようになっていったのがきっかけでした。江戸中期に入って、庶民の間で白粉化粧のトレンドが薄化粧になると、女性たちの意識は素肌美に向けられるようになり、そして、化粧水は"肌を整えるため"の化粧品となっていきます。

この頃になると、江戸の町は飲食店や小売店といった商売が盛んになり、毎日を楽しむ庶民文化が発展しています。化粧品は、白粉や紅を看板商品とする化粧品店や櫛や簪(かんざし)と一緒に小間物屋で売られていました。有名な「花の露」を販売していた、芝増上寺の傍らにあった芝神明前の「花露屋」は、喜左衛門(喜右衛門とも)という江戸の医師が作ったといわれ、江戸初期から明治時代まで続いた化粧品店でした。この「花の露」は良い化粧料の代名詞として市販の化粧油や化粧水などの商品名に使用され、人気を博したそうです。

《江戸名所百人美女 芝神明前》(部分) 三代歌川豊国 安政5年(1858)(国文学研究資料館撮影)
鏡台を前に、眉を整える女性。《江戸名所百人美女 芝神明前》(部分) 三代歌川豊国 安政5年(1858)(国文学研究資料館撮影)
鏡台を前に、眉を整える女性。

その作り方は、美容本『都風俗化粧伝』(文化10年)に「花の露のとりよう」として取り上げられていて、「いばらのはな、この花をつみとり、らん引にかくる。かくのごとき器也。」と図入りの解説があります。「蘭引(らんびき)」と呼ばれている器は、古くから酒や香料、薬種などを蒸留するために使われていた蒸留器のこと。語源はポルトガル語のアランビックで、日本には江戸時代の初めに伝わったといわれています。 仕組みは、三段になった器の一番下に水、中段にいばらの花、最上段に水を入れて火にかけると、蒸された花の成分を含んだ蒸気が上段の水で冷やされ、中段から蒸留水が落ちてくるというもの。いばらの花の蒸留水に丁子や白檀などの香料を加えた「花の露」は、"顔に塗れば光沢を出し、香りもよくして肌の肌理(きめ)をこまかくする、しかも腫れ物まで治してしまう"という効果が書かれています。江戸の女性は自分で、こんなオーガニック化粧水を作っていたようです。

《江戸名所百人美女 芝神明前》 三代歌川豊国 安政5年(1858)(国文学研究資料館撮影)
鏡台の脇に芝神明前の店で売り出していた「花の露」が見えている。《江戸名所百人美女 芝神明前》 三代歌川豊国 安政5年(1858)(国文学研究資料館撮影)
鏡台の脇に芝神明前の店で売り出していた「花の露」が見えている。

他には、滑稽本『浮世風呂』で有名な式亭三馬が販売していた「江戸の水」や「菊の露」、今でもお馴染みのヘチマの水で作られた化粧水「美人水(びじんすい)」などの人気化粧水がありました。なかでも大ヒットしたのが「江戸の水」。その秘訣はなんといっても宣伝戦略です。作家の式亭三馬は、人気の自著の読み物のなかでうまく「江戸の水」を宣伝することを考案。『浮世風呂』にも「おしろいのよくのる薬」と宣伝をぬかりなく仕込んでいます。江戸時代に、出版物を使った巧みなプロモーションがあったのですね。

いろいろな化粧水が販売されるようになるとアンテナ高くあれこれ化粧品情報を集めるようになっていたのでしょうし、確かな効果の化粧水というニーズも、もはや現代と同じです! 美肌が化粧のテーマとなったのですね。
次回は、江戸時代のメーク&トレンドについて引き続きお伝えします。

《白梅模様蘭引 》 江戸時代
化粧水をつくる蒸留器。三段になった器の一番下に水、中段にいばらの花、最上段に水を入れて火にかけ化粧水をつくった。《白梅模様蘭引 》 江戸時代
化粧水をつくる蒸留器。三段になった器の一番下に水、中段にいばらの花、最上段に水を入れて火にかけ化粧水をつくった。

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

  一覧へ戻る  

この記事のタグから他の記事を検索できます

最新の記事

上へ