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化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

021

伝統化粧の完成期
江戸時代8 江戸時代のメーク&トレンド<白〔白粉化粧〕>

2021.11.25

江戸時代の女性は赤・白・黒3色の彩りでメークを行い、伝統化粧の美を極めました。前回まで、お歯黒や眉化粧の「黒のメーク」、頬紅や口紅など紅化粧の「赤のメーク」についてお伝えしてきましたが、今回はいよいよ白粉(おしろい)化粧。当時の女性たちが一番気を使っていたといわれる「白のメーク」についてお話ししましょう。

何故そんなに白粉を重視していたのでしょうか。それは、古くから白い肌が美人の条件のひとつとされてきた美意識があったからです。日本女性は、奈良時代より白粉で顔を白く化粧してきました。上流階級から始まった白粉化粧と白肌への憧れは変わることなく、長い歴史を経て江戸時代には庶民まで浸透していきます。そして、白い肌といえば白粉を使う「白いメーク」だったのです。現代と同じように、美白ケアと並行してメークでかなえる白美肌のハウツーがありました。

それでは、江戸時代にはどのような白粉が使われていたのでしょうか。
古代から鉛系の「ハフニ」(鉛白)と水銀系の「ハラヤ」(軽粉)という白粉がありましたが、鉛白は鉛白粉とも呼ばれ16世紀初めに堺で安価で質の良い白粉が製造されるようになり、江戸時代には鉛白粉が本格的に流通して一般に使われています。この鉛白粉ですが、さらに粉末のあらさによって三段階に分かれていました。『都風俗化粧伝』によると、「極く細末の宜しきを生白粉(きおしろい)という。その次を舞台香(ぶたいこう)という―芝居役者の使うおしろいなり―。その次を唐の土という。安き白粉也」となっています。早くも、グレード別の品揃えがされていたのですね。廉価で手に入る白粉もあったのですから、庶民もお化粧にはげんでいたのでしょう。
さらに、白粉をどのようにつけていたのかというと、慶安三年(1650)に書かれた『女鏡秘伝書(おんなかがみひでんしょ)』には、「けはいの化粧の事 おしろいをぬりてすこしものこり侍(はべ)れば見ぐるしき物なり。よこよこのごひとりてよし。もとよりかほばかりにぬるべからず。みみのした、のどよりむねまでものこらずぬりたまふべし。きハ(際)見へざるをかんとす・・・」とあります。白粉がムラにならないよう、また、塗ったか塗らないか分からないようにすること。首、胸、耳にも塗ること。また、生え際は境目のないように塗るのが肝要と説いています。

《美艶仙女香式部刷毛》(部分) 渓斎英泉 文化12~天保13年頃(1815~1842)
 (国文学研究資料館撮影)
当時有名だった美艶仙女香という白粉をのばしている女性。 発売元の坂本氏と浮世絵の版元がタイアップした美人画。《美艶仙女香式部刷毛》(部分) 渓斎英泉 文化12~天保13年頃(1815~1842)
 (国文学研究資料館撮影)
当時有名だった美艶仙女香という白粉をのばしている女性。 発売元の坂本氏と浮世絵の版元がタイアップした美人画。

そして、どんな道具を使っていたのかも知りたいですよね。江戸時代の白粉化粧は水で溶いてつけるのが特徴で、刷毛も何種類もありました。当時使われた白粉化粧道具をご紹介します。
① 白粉三段重:磁器でできていて、三段のうち一番下が深くなっています。白粉と水を別々に入れ、それを溶き合わせるのに使ったものです。
② 白粉刷毛:顔や首、襟足や胸まで白粉を塗るのに使われました。板刷毛、水刷毛、牡丹刷毛、ほほ刷毛等の種類があり、つける部位や順序によって使い分けました。一般庶民は、簡易につくった刷毛や指などで簡単に白粉をのばしていたようです。

江戸時代にはいろいろな銘柄の鉛白粉が売られていました。白粉は畳紙(たとうがみ)に入っていて、表には浮世絵師が描いた人気役者の絵や小野小町を連想させるような美人画がデザインされています。なかでも有名だったのが「美艶仙女香(びえんせんじょこう)」です。読み物や浮世絵に登場させるという宣伝で、川柳にも「なんにでもよくつらを出す仙女香」と詠まれるほど高い認知率でした。ちなみに美艶仙女香が描かれた浮世絵は、当研究所が確認しただけでも40点以上にのぼります。
さらに、この白粉の能書きを読んでみると、「▲常に用いていろを白くし、きめをこまうかにす。▲はたけ、そばかす、にきび、あせものできもの一切よし・・・▲はだをうるほす薬ゆえ常に用ゆれば年たけても御顔の志わ(シワ)はよらざること妙なり」とあり、メーク品以上にすごい効能まであるとは、興味深いですね。鉛白粉はのびもつきもよかったので、明治時代に入っても愛用され続けましたが、歌舞伎役者に起きた慢性鉛中毒事件が社会問題になり、それを契機に「無鉛タイプの白粉」が、また輸入品に触発されて「色つき白粉」など、新タイプが次々と登場する新時代を迎えることになります。

江戸時代の女性達が憧れた色白肌を担ってきた白粉=白のメーク。真っ白に仕上げる美意識はさらに発展し、素肌の美しさを連想させる仕上げへと進化を続け伝統化粧は完成します。素肌感に価値をおいた薄化粧が江戸後期の白粉化粧法でした。こうしたトレンドに美肌意識はより高まりを見せて、スキンケアを含めた素肌のトータルケアが醸成されていきます。

さて、ここまで3回に渡ってお話してきました黒・赤・白でつくる江戸時代の伝統化粧、次回はそんな江戸時代のメークテクニックをご紹介します。

奥  白粉三段重(おしろいさんだんかさね) 江戸時代末期~明治頃
手前左  白粉刷毛(おしろいばけ) 江戸時代
手前右  白粉包み 江戸時代 奥  白粉三段重(おしろいさんだんかさね) 江戸時代末期~明治頃
手前左  白粉刷毛(おしろいばけ) 江戸時代
手前右  白粉包み 江戸時代

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

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