ポーラ文化研究所ポーラ文化研究所
ポーラ/オルビス ホールディングス
JP|EN
JP|EN
Search
Close
化粧文化 COSMETIC CULTURE
日本の化粧文化史

028

近代化粧の幕開け
明治時代1 美意識の転換と新・女性美

2023.02.09

日本は明治維新を機に、「近代化」への文化の刷新をはかりました。維新という言葉は「物事が改まって新しくなる」という意味。新政府の政策で西洋文化が奨励され、上流階級の女性たちを筆頭に一般女性の化粧・髪型・服装にまで大きな影響を及ぼしていきます。近代美容は美意識の変化とともに徐々に一般女性に浸透し、現代の化粧や美容につながる道を歩みはじめたのです。
下記に掲載した2枚の画像を見比べてみましょう。右の江戸時代の浮世絵の女性は、白粉(おしろい)メークでつくった白肌美人ですが、左の明治時代の女性の写真は、現在にも通ずる"自然な美しさ"の女性美が写し出されています。伝統的な美意識から、西欧の美意識へと移り変わっているのです。
今回は、明治の女性が文化の大変革に直面し、どのように「伝統」から「近代」へと化粧を切り替えていったのか?「明治時代の化粧文化」について概要と変遷をお話しましょう。

左:《美艶仙女香式部刷毛》(部分) 渓斎英泉 文化12~天保13年頃(1815~1842)(国文学研究資料館撮影) 
右:絵はがき(部分) 明治時代  左:《美艶仙女香式部刷毛》(部分) 渓斎英泉 文化12~天保13年頃(1815~1842)(国文学研究資料館撮影)
右:絵はがき(部分) 明治時代

【1.近代化粧の第一歩】

★お歯黒、眉そりの廃止
最初のポイントは、江戸時代まで女性にとって大切な通過儀礼のひとつであった「お歯黒と眉そり」の廃止です。来日した欧米人に奇異な風習と批判され、近代化を進める政府は明治3年、公卿と華族に廃止を命じます。明治6年に昭憲皇后が率先してやめることで、ようやく一般女性もお歯黒と眉そりをやめて、自然な眉、本来の白い歯を認めはじめました。
それは、本来持っている美しさや健康的な美といった、まさに現代につながる美意識のめばえでした。

★白粉による白塗りからナチュラルメークへ 
ベースメークも西洋から色付き白粉が輸入されました。 江戸時代まで、赤(紅)、白(白粉)、黒(眉墨、お歯黒)の化粧しか知らなかった女性たちにとって、肉色白粉の登場は、メークの常識をひっくり返すできごとでした。

左:《見立多以尽 洋行がしたい》 月岡芳年 明治11年 (1878年)(国文学研究資料館撮影) 左:《見立多以尽 洋行がしたい》 月岡芳年 明治11年 (1878年)(国文学研究資料館撮影)

【2.近代美容法の導入】

★「美顔術」など欧米美容の導
女性の美容意識がグッと高まった明治時代後半には『女学世界』『婦人世界』など女性雑誌が続々と創刊。誌面では洋行帰りの女性や美容家によって、欧米の最新化粧、美容法が次々と紹介されました。特に注目度が高かったのが「美顔術(びがんじゅつ)」。現在でいうエステの登場です。はじめてのエステティックサロンは明治時代後期にオープンしています。明治の女性たちは、新しいことに果敢にトライしていたのですね。

『欧米最新美容法』(部分) 玉木広治編 東京美容院 明治41年(1908)『欧米最新美容法』(部分) 玉木広治編 東京美容院 明治41年(1908)

【3.近代化粧品の登場】

★輸入石鹸
化粧品の中で早くに輸入されたのが「石鹸」。それまでの糠、洗い粉に変わる新しい洗顔料として欧米から輸入されましたが、この頃は上流階級の人々しか使えない高価なものでした。後に国産品も販売されますが、まだまだ一般女性の定番は、手に入れやすい糠と市販の洗い粉。石鹸が洗顔料として普及するのは明治も終わり頃になります。

★クリームの輸入
スキンケアでは、新しい化粧品クリームが輸入され話題となりました。クリームは化粧のりが格段によくなるからと化粧下地になったり、欧米式の美顔マッサージに使われたりと、マルチな活躍でたちまち脚光をあびる存在になります。当時の美容本には、欧米の最新美容法としてクリームやマッサージ法など、素肌を活性化する美容が盛んに紹介され、素肌を重要視する意識が女性たちの間で浸透していきました。

★香水
香水が欧米の化粧品として日本に本格的に進出したのは明治時代です。上流階級の女性や芸者たちの間で流行した西洋の香り。人の集まりや外出時にはなくてはならないものとして、香水文化が形成されていきます。

左:ブーツコールドクリーム キャッシュ&ケミスティス 1900年代
右:フランスの花(ヘリオトロープ) L.ペロー 20世紀左:ブーツコールドクリーム キャッシュ&ケミスティス 1900年代
右:フランスの花(ヘリオトロープ) L.ペロー 20世紀

【4.髪型の近代化】

★日本髪から束髪の推奨へ
明治時代に入って西洋化が推し進められても、一般女性のほとんどは和服に日本髪が一般的でした。明治18年「婦人束髪会」が設立され、手入れの大変さや不潔不経済ということから日本髪を廃止し、新しい髪型にしようと束髪(そくはつ)が提案されます。
中でも三つ編みの「マガレイト」やすっきりとしたアップスタイル「あげ巻」は、若い女性に人気の髪型でした。しかし明治時代は束髪が登場し受け入れられながらも、まだまだ日本髪も結われ続けている近代化への過渡期でもありました。

明治時代に号令をかけられてはじまった化粧の近代化ですが、「化粧法・美容法・化粧品・髪型」と多岐に渡った革新が進められたこと、またその受容スピードの早さにも驚かされます。白粉化粧の白い肌・お歯黒やそり眉などの「伝統的様式美」を廃して、健康的な肌や歯、ありのままの眉の「近代的自然美」への転換が、日本の新たな化粧文化、近代化粧の潮流となったのです。

左:マガレイト 右:あげ巻《大日本婦人束髪図解》(部分) 松斎吟光 明治18年 (1885年)(国文学研究資料館撮影) 左:マガレイト 右:あげ巻《大日本婦人束髪図解》(部分) 松斎吟光 明治18年 (1885年)(国文学研究資料館撮影)

※このコンテンツは2014年から2019年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「新・日本のやさしい化粧文化史」を一部改訂再掲載したものです。

  一覧へ戻る  

この記事のタグから他の記事を検索できます

最新の記事

上へ