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化粧文化 COSMETIC CULTURE
もっと知りたい日本髪

020

文明開化と日本髪

2022.04.28

時代はいよいよ明治。近代化を目指した明治政府は、あらゆる面で欧化政策を推し進めました。明治4(1871)年には男性に対して断髪令が出されます。「ざんぎり頭を叩いて見れば文明開化の音がする」とうたわれたように、男性の断髪・洋服姿は文明開化のシンボルとなりました。
男性に続いて、翌年には東京で断髪にする女性が現れましたが、世論は女性が髪を短く切ることに対して猛反発。女性の断髪禁止令が出されることとなります。平安時代から連綿と続く、「長い黒髪=美しい」という価値観は、それほどまでに日本人に浸透していたのです。当時髪を切るということは、未亡人になったという証拠か、仏門に入るという印とされていました。

《時代かがみ 明治》(部分) 楊洲周延 明治29~30年(1896~1897)(国文学研究資料館撮影)《時代かがみ 明治》(部分) 楊洲周延 明治29~30年(1896~1897)(国文学研究資料館撮影)

髪型も、服装も化粧も、女性のよそおいがまだ江戸時代の延長にあった明治時代初期、既婚者は「丸髷」、若い娘は島田髷の一種「結綿(ゆいわた)」などの髪型が結われていました。この頃の日本髪は、全体がこぢんまりと引きつめられ、髪飾りも地味なものへと変化していったのが特徴です。江戸時代の日本髪がどんどん豪華さを増していったのに対し、小さく控え目になっていった明治時代の日本髪。日本髪が主役だった時代の終焉が近いことを予感させます。

女性のよそおいにまで届いた西洋化の波は、いよいよ日本髪を取り巻く状況を一変させていきます。次回もどうぞお楽しみに。

《江戸名所百人美女 駿河町》(部分) 三代歌川豊国 安政4年(1857)(国文学研究資料館撮影)《江戸名所百人美女 駿河町》(部分) 三代歌川豊国 安政4年(1857)(国文学研究資料館撮影)

※このコンテンツは2015年から2018年にポーラ文化研究所Webサイトにて連載していた「やさしい日本髪の歴史」を一部改訂再掲載したものです。

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