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化粧文化 COSMETIC CULTURE
お化粧ヒストリー

変化の時代、19世紀後半の美意識

016

変化の時代、19世紀後半の美意識

2020.04.09

濃い白粉化粧が一般的だった17世紀から18世紀を経てひかえめなメークが主流になり、かよわく繊細なことが上品とされた19世紀前半。19世紀中頃以降もナチュラルメークが主流でしたが、また異なったよそおいの文化が生まれます。

18世紀末から生じた産業革命は、様々な機械の発明や石炭の利用、技術や交通網の発達など、人々の生活に大きな変化をもたらしました。

1866年になると化粧の歴史に大きな転換点が訪れます。
その毒性が問題視されていた鉛白粉に代わる、無害な亜鉛華(酸化亜鉛)白粉が開発されたのです。それまでの鉛白粉とは異なり、肌を傷めず変色せず、また安価ということがあり、西欧の女性たちに熱狂的に受け入れられました。

また、19世紀中頃、ダンサーであり女優のローラ・モンテスは女性の美しさについて「皮膚を輝かせるために運動が必要であり、節制と清潔が重要」と語ったといいます。それまで女性が能動的に体を動かすことはタブー視されており、上流階級の女性たちがスポーツを楽しめるようになるのは19世紀末までかかりますが、時代が変化し始めたことがうかがえます。

そしてさらに大きな変化のひとつとして、入浴が挙げられます。
公衆衛生学の発達とともに体を清潔に保つことがよしとされ、上流階級の間ではエチケットとして定着し、徐々に一般家庭にも広がった入浴。
19世紀後半においても浴室は一部の上流階級の贅沢品だったため、多くの人々は盥(たらい)に水を張って体を洗っていました。

産業革命を経て、万国博覧会の開始や都市改造、科学技術の発達など近代化が進み、人々の美意識にも変化が訪れた19世紀。
次回はさらに、この時代の女性たちのファッションや髪型などに注目します。

19世紀のヘアスタイル、『ル・ジュルナル・エ・デ・ドモワゼル』より、1875年19世紀のヘアスタイル、『ル・ジュルナル・エ・デ・ドモワゼル』より、1875年

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